glisten

DESTINY,WE'RE MEANT TO BE ABC&Z!!

優しい恋でありますように


「とても優しくてファン思いの素直ないい子だと思っていたのに、あの頃の気持ちは変わってしまったんですか。プロ意識なんて全く感じない。売れたいという気持ちがあるなら、それなりの意識を持って行動してください」

だなんていう言葉をいくつも目にすることがどれだけ悲しくてどれだけ辛かったか、この数日ツイッターを覗くことが怖くて悲しくて仕方なかった。以前私と同じようにはしもとくんを可愛い可愛いと言っていた人がある日、彼にがっかりしたと言って離れていったことを思い出した。あんなに悲しかったことはない、その人を責めることも出来なくてでも悔しくて、自分の好きって気持ちだけを信じるしかないんだ、と思った。


五人の物語が始まったのは、八年前のあの夏の日。まだ幼さの残る少年が四人のもとにやってきた。端正な顔立ちと綺麗な歌声。見た目は大人っぽいくせに中身は甘えん坊でちょっとおばかなかわいい子、それがはしもとくんだった。共に活動してきた仲間たちが自分を置いてデビューをしてしまった、そんな悔しい思いをした彼が、ここで俺はやっていくんだ、と決意をして四人の真ん中に立つことになったのは今から八年前のことだ。歌もダンスも何もかも簡単に出来るはずもなければ周りからもすぐに受け入れられるはずもない、それでも持ち前の人懐こさと器用さと負けん気の強さで、いつしかこのグループにはなくてはならない存在になった。そんな、小説にでもなりそうな彼と四人の物語は私達に夢を見させてくれた。
まだ十代だった少年は嫌でも大人になった、ならなければいけなかった。六つ以上年上の四人と肩を並べるには大人になるしかなかった。子どもらしく振舞いながらも、物事を冷静に見られるようになっていた。
「同い年のやつらが遠く感じた、同い年のやつらと会うときはできるだけガキっぽく振舞った。そんな自分が少し嫌いだった」
ここで生きていくという覚悟と、このままでいたくないという葛藤と、彼の言葉からはいつでもそのどちらもが見え隠れしていた。自由奔放に見えてとても繊細で脆い。私はそんなはしもとくんが好きだった。今も、好きだ。

私はとつか担であると同時にはしとつ担であると自分では思っているので、今回のことはわりとショックだった。そういう相手がいるのは構わないというか仕方ないというか、けれど、隠してほしい、そういうところは見せないでほしい、というのが本音だ。ただ、今回私の気持ちを深くえぐっているのは異性と撮られたことよりも、ここぞとばかりに彼を批判する言葉たちが次々と降ってきたことだった。
いろんな意見があった、どれも間違いではないと思う。そもそも個人の意見なんだから間違いなんてない。私達が知ることのできる事実なんてほんの少ししかない。あとはその事実からこちら側が勝手に気持ちを動かすだけだ。撮られたことを喜んでも悲しんでも怒っても何をしても、どんな感情もそれはその人の気持ちだから。ただ、この機会に言わせてもらえば、のような感情のぶつけあいみたいなものがあまりにも多くてうんざりしてしまった。

アイドルでいることを選んだくせに、求められているものを知りながらそれでも、自分の気持ちを優先させたいとも思っている。それは大体アイドルとしてはNGで、怒られて批判されて落ち込んで憤って、そしてまたアイドルでいることを選ぶ、けれどもやっぱり、自分が好きだと思う方を選びたいと時に思って選んでしまう。はしもとくんととつかくんに共通してるところはそこだなと私は思う。あくまで私の感じ方だれけど。
とつかくんはまさにそれで、ファッションも振舞いも発言も、周りが求めるものに合わせられればもっと人気は出るんだろうしドラマとか演技のお仕事もくるだろうしつまりはファンは増えるんだろうと思う。ただ、とつかくんには譲れない「好き」ってやつがあって、そのためには髪型も服装も振舞いも発言も、その「好き」に従って生きてしまう。まあ、大体それは好かれないんだけど。とつかくんの話は多分わかりやすいけれど、私ははしもとくんにもそういうところがあると思っている。
自分がアイドルだという意識は高い人。ファンの子たちの気持ちにいつだって寄り添いたいと考えている、とても優しい子だなと私は思っている。ただその一方でずっと、親友たちの持っている普通さに憧れているところもあるんじゃないかなと思う。アイドルだけど俺は橋本良亮っていうひとりの人間だから普通に恋愛するし、普通に遊びに行ったりもするよ、そう思ってるのかなって。想像だけど。「クラスに一人はいるアイドル止まりが良かった」私はこの言葉がとてもショックだった、けれど、初ソロコン前のあの時期のはしもとくんの本音だったんだと思う。悲しかったし苦しいんだろうと思った、でも、なんていうか、とても人間らしいと思ってしまった。そういうマイナスの心の声はわざわざ見せない人のほうが多い。アイドルとしては見せないほうがいいのかなとも思う。でもそれを知ってもらいたくてわざわざ言葉にする。悩んだり苦しんだりしている具体的な中身は明かさないまでも、その痛みの強さを言葉にする。ファンの前だとしても吐き出すことを躊躇わない。それを見るたびにはしもとくんのいるその世界は生きにくい世界なのかなあと心臓がぎゅっと痛くなる、でも同時にとても愛しくも思えてしまう。



ここまでが6月19日に書いたもの。ここから先は9月3日。


はしもとくんの話がその後のサマパラにまで引きずってしまうとは正直思っていなかった。ショック、だったなあ、とても。悲しかった。はしもとくんの発言や行動はとても危うさがある。それがプラスの魅力になることも多々あるけれど、誤解を生むこともしばしば。本当はそうじゃないんだといくら彼が思っても訴えても、いつだって、目に見えるものしか届かない世界なんだ。
私は悲しかった。何が悲しかったって、はしもとくんのことをふかふかの優しい毛布で包みたいと思うくらい彼のことがかわいくて仕方ない私にとって、あちこちから飛んでくるたくさんの言葉が冷たくて先の尖った刃みたいに痛かった。今もまだ痛い。今もまだ、右を見るのも左を見るのも怖い。まだ答えは出ない。わからないことはたくさんある。でも私は、それでも私は、はしもとくんのいるその世界から続く未来をもっと見たいと思っている。はしもとくんの隣には四人がいて、仲間たちがいてスタッフとかファンの子たちもたくさんいて、みんな行くよー!って。真っ白な羽根を広げて、俺たちと、みんなで、声を高らかに歌う姿を、まだ見ていたいと思っている。未来を夢見ることはまだ見ぬ明日を信じることだから、怖いも不安もなくはないけれど。でも、なんだろうね、それでも見ていたいんだよね、愛に溢れた優しい未来がある気がするんだよね。だって、はしもとくんがいる。それなら、間違いないって気がするんだよね。

ずっと下書きに残したままもやもやしてたやつを一応完結させたくて書いてみたよ。いまいち完結してないけど。でも少しすっきりした。文字にできて良かった。やっぱり好き。はしもとくん大好き。愛してます。今年の夏も恋しちゃった話しようかなあ。もういらないよね、去年もしたもんね。でもねえ、今年の夏はね、千葉のヤンキーとパリピな恋だったんだけどね。その話しようかなあ。話したくてしょうがないんだよ、だって好きなんだ。はしもとくんが好きなんだよ。それだけでいい、それだけがあれば十分だ。