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DESTINY,WE'RE MEANT TO BE ABC&Z!!

いま僕は恋に満ちて

ツイッター等で自分のことを話すとき大体私はこう言います。「はしもとくんの話ばかりしているはしとつ大好きはしとつに甘いとつか担です」多分これ間違ってないと思うんです、そうでしょ。毎日毎日はしもとくんかわいいかわいいしていてそれが日課というか趣味みたいなもので。ここだけの話携帯に保存している画像もはしもとくんが一番多い。これ言ったらさすがにちょっとびっくりされました。えへへ。
でも例えば舞台やコンサートなんかの現場があると突然とつかくんの話をし始める。しかもわりと重めの話をうだうだとする。コンサートで持つうちわは当たり前のようにとつかくんです。これは迷ったことがない。そしてずっととつかくんのことを見ています。私がえびを好きになってからずっと変わらないことです。
そんな自分のこのスタンスを不思議に思ったことがないわけではないですが、不満に思ったことは一度もありませんでした。はしとつが好きだということに迷いなどなく担当をとつかくんだと言うことにも迷いはひとつもありませんでした。でした。過去形。
そんな前置きから。決してぶれることのないと思っていた自分の心が揺れた日の話。はしもとくんのソロコンの日の話です。


8月にTDCでサマパラをやると5月の代々木で聞いたときからずっとこの日を待ち望んでいました。はしもとくんにとって初めてのソロコンサート。ソロでのお仕事、しかもコンサート。はしもとくんにとってのこのお仕事にはとても大きな意味があると思っていました。時期もそう、年齢的なものもそう、お仕事の内容もそう。今しかない。とつかくんのように激戦だ!これに勝ち残るしか!ない!そう心に決めてチケットの申し込みもそれはそれは張り切りました。平日は普通に仕事があるので日程的にも一日くらいしか休めない。それでもいいからとにかくその日の休みだけは何とかしてもらおう。どうにかなんとか。数少ない局名義はすべてはしソロに賭けました。おかげさまですべて当選しただけでなくとんでもない席だったわけですが。えび公演のほうはすべて外れるという負けっぷり。それでも私は後悔していませんでした。だって決めていたから。はしもとくんにすべて賭けると。何よりもはしもとくんを優先させると。それくらい大事なものだと思っていたんです。それくらい大事にしたかったんです。
はじめてはしもとくんのうちわも作りました。だって願っていたから。はしもとくんのソロコン、会場いっぱいに「はっしー」「良亮」「橋本」が並んでいてほしい。はしもとくんがステージの上から周りを見回したときその景色が見えていてほしかったんです。みんなはしもとくんを見に来たんだ。みんなはしもとくんのこと大好きなんだ。世界で一番幸せになってほしいひと。どうか笑顔にしたい。そのひとつの要素に自分がなれたら。

8月23日幕が上がる日。終えた自分の感想はとにかく最高に楽しかった!だった。他にないのかいというくらい単純すぎる感想。でもそれがすべてでした。楽しかった。はしもとくんしかいない世界。はしもとくんのためだけの時間。一時間半という短い時間はすべてはしもとくんのためだけにあった。一瞬たりともつまらない悲しい瞬間などなかった。私ははしもとくんがもっとふわふわ不安定になるかなと思っていました。緊張や不安で迷ったりMCで話すことがなくなったりとか。でもそんなこと全くなかった。最初から最後まではしもとくんはずーっと楽しそうだった。ずーっと笑っていた。だから私はずーっと幸せでした。
俺ね、この曲好きなんだ。君も好きでしょ。これ踊りたかったんだ、かっこいいでしょ。ねえねえ聞いてよ。こんなことがあったんだよ。あとねえ、こんなこともあったよ。すごいでしょ。ねえ、楽しいね。楽しいなあ。
まるでそんな声が聞こえてくるかのような時間だった。幸せを共有している。楽しいが伝染していく。誰ひとり取り残されることなく愛してくれた。愛してほしいと甘えているようにみえて愛してもらっているのはいつもこちら側だった。それを感じて涙のように心の奥底から笑顔が溢れるような不思議な感覚を抱きました。

私がはしもとくんを意識して見るようになってまだ三年半くらいしか経っていないけれどまだ18だった少年はすっかり大人になったんだなあと感じました。大人に憧れて早く追いつきたくて精いっぱい背伸びして、そんなかわいい少年はもう羽ばたくことを覚えた力強い大人になっていました。それを言ったら喜ぶのかな。そんなことないよって笑うのかな。どちらにしても私は今まではしもとくんの何を見てきたんだろうと思うくらいには、はしもとくんが見せてくれたこの四公演のすべてが愛おしくかけがえのない尊いものに思えて仕方ありませんでした。
はしもとくんのためだけのあの時間空間は宝物。これから先どんな願いごとをしてももう二度と叶わないのだから。たとえば一ヶ月後に同じ場所で同じセトリでやっても、同じはしもとくんはもういない。それくらい尊いものだった。二日間の四公演は。三日間やりたかった、そう言った言葉は聞いてほしい人たちに届いているんだろうか。後悔してくれればいい。二日間しかやらなかったことを。


ここから先の文章何度も消して書いて消して書いてを繰り返しましたが。恥ずかしいけど書いてしまおう、今さらだし。もう二度とこんな話はしない。多分。かわいいかわいいはしもとくん。今までもずっと好きだったけどなんだろうこの好きってやつは。そう思いながら今日までずっと考えてはごろんごろんと転がりまわっていました。とつかくんのうちわを当たり前に持っていた私がたった一度だけ今回えびサマパラではしもとくんを持った。とつかくんがいるのにとつかくんをずっと見ていないのははじめてだったしなんだかずっとそわそわしてしまった。そんな自分にちょっと笑って泣いてしまった。なんていうか好きだと思って、これはなんの類だろうなあとか考えてみたりもして。はしもとくんの恋の歌詞「いま僕は恋に満ちて」ここの歌詞がとても好きで大事に優しく歌うはしもとくんが好きで、この二日間恋をさせてもらったのかもしれないなあと。思って、すとんと気持ちが穏やかになりました。男らしく歌い踊る姿も少年のように無邪気に笑ったり甘えたりふざけてみたりする姿も、優しさもまっすぐな瞳もときおりのぞく不安も、音と言葉と光とすべてを纏ったあの瞬間の姿を、見て、この心臓は跳ねるように熱くなった。お姫様にはなれないけれどなれるかのようにその視線は愛に溢れていた。私のこの下手くそなうちわの良亮の文字は視界の隅っこにでも入ってくれただろうか。不安になったときは少しでも背中を押すことができただろうか。どうか私のことは見てくれなくていい、ただここからはしもとくんを想っている人間がひとりいるということだけでも、気づいてもらえたら。世界で一番幸せになってほしいひと。恋をさせてくれたひと。恥ずかしい、でも嬉しかった幸せだった。私の夏は終わったのです。


私このままはしもと担になるんだろうか、と実はここ数日考えていました。こんなこと言ったら多分フォロワー半分くらい減るんだろうなあとか。でも私はとつか担でした。それを実感してしまったのもはしもとくんのうちわを持って気づいたことでした。その話はまたいつか。いつか、しないよ…飲みに行ったら、話しましょう…きっと私はしもと担なんだと思うんです。だってすごい好きだし。もっかい言うけどすごい好きだし。好きだし大事だしなんなら愛してるよ!って。とつかくんよりはしもとくんを優先することだってあるよ、画像だって多いんだって。でもとつかくんがいるかぎり私はとつか担なんだろうなあと思いました。これから先またはしもとくんのうちわを持つことがあっても。担当の定義ってやつは人それぞれだと思っているのでこいつなにを言ってるの?と思われるかもしれない。私も自分でお前何言ってんのって思ってる。でもねえ、最高だよとつかくん!ってお腹抱えてひっくり返りたくなったんだよ私。この人知ってしまったからもうだめだなーって。とつかくんがいなかったらはしもと担だっただろうな。でもとつかくんがいるから私とつかくんなんだな。とつかくんのせいだよ、このやろう最後の人になってもらいます。
いま私が自分のことを誰かに話すときどう言うんだろう。「はしもとくんの話ばかりしているはしとつ大好きはしとつに甘いとつか担です」まあ特に変わらずなのかなあ。でもはしもとくんに恋をした夏の思い出は宝物だから。言ってて恥ずかしいからもう言いません!

もう二度と戻らない夏。かけがえのない夏。はしもとくんを好きになって良かった。もっと好きになれて良かった。本当に本当に大切で尊い。そのすべてに目も耳も全身すべての感覚を奪われた気持ちだった。それを望んで向かったはずだから私はとても満ち溢れている。とても大切なひとだった。愛してくれてありがとう。世界一幸せにしたい枠だな!これからも大好きです。