ダイアリー 2015/Summer
「近頃じゃTVの中、僕を見かけたりするだろう?
そんな僕を見て君は、喜んでくれているかな?
それとも大人になった僕にがっかりしてるかな?
大事な守るべき何か失くしていたら、そっと教えて。」
君に届け
この感覚を知ってる。そう思ったのが最初の感想で心の中にあったもやもやというかそわそわというかそんなものがすとんと落ちた気がしました。うれしい。その言葉が口からぽろんと落ちてじわあとあたたかいものが胸いっぱいに広がっていきました。そうだ、この感覚は一万字を読んだときと同じもの。とつかくんが伝えたいと思ってくれたことが嬉しいんだ。そう思いました。自分がわかっていればそれで、そう口にした彼が届けとこちら側へ向けてくれた言葉。それを受けとめることのできる場所にいることが嬉しいのです。
きっと話してくれるだろうと勝手に期待をしていた、舞台広島に原爆を落とす日に関してのとつかくんの言葉。今月のジョーダンバット。
純粋なブルー
初めて聴いたときの感触を忘れたくないと思った。真っ青な空の下で初夏の爽やかな風が駆け抜けるみたいに流れていった、そのスピードは速くもないけれど遅くもなかった。声と音と、何よりもひとつひとつの言葉が、身体にも心にも心地良かった。柔らかく優しく穏やかに、その内は熱く強く真っ直ぐに。
気づいたら駆け出していた、立ち止まっていたくなかった。迷いのない飛び出す背中を追いかけたくなった。三年とちょっと、月日が経ってもなお私はとつかくんから目が離せない。その姿をもっと見ていたい、難しいことなんて何一つない。すとんとくっついていたものが落ちるみたいに、素直にそう思えた。好きって気持ちはこんなにも単純で綺麗なものだった。とつかくんを見ていたらそう思えた。うん、そうだなあ。とつかくんが好きだなあ。そう自分の口から出てきた言葉は、自分を幸せにしてくれる気がした。
儚いから綺麗だと言うなら
2015年春。今年の夏も熱くなりますねと繰り返していた夏が今年は春になり、桜咲く春の京都南座に今年も向かうことが出来ました。4月4日晴天、暑すぎる陽射しに眩しい眩しいと呟きながら久しぶりの再会。南座。5日はあいにくの雨。桜の花びらも散って肌寒ささえ感じた日。
7日広島。年度初めに休みを期待できるはずもなく諦めていた広島。一週間前に休みが決まって日帰りで向かった広島。曇り空の原爆ドーム。色鮮やかな折り鶴。投下の目印となった橋。
私にとってこの、広島に原爆を落とす日という作品を観ることができるのはあと2回となりました。正直足りない。というか自分の中でいまだにすっきりとしないというか。すとんと落ちてこないものが胸の奥のほうでもぞもぞとしている気がします。
限りある時間の中でひとつも溢すことなく受け入れて感じることが出来るのか。迷いに迷って今日から原作を読み始めました。遅い。でも、自分にとっては今しかないと思いました。今しか。あの時代のあの世界に生きるディープ山崎の想いとそこに向かうとつかくんの意思と、それを少しでも多く感じたい。そのためには、とあまり前向きになれない状態でページをめくっています。
熱海殺人事件。あのときの感覚と近いものがあるのかもと思います。苦しい悲しいつらい、それでもこの目で観たい感じたい。ひとつでも多く。そのすべてを受けとめたいと思うのは、この上なく贅沢で愛しい感情だなあと思っています。
美しさしなやかさ愛らしさ素直さ、恐怖心寂しさ孤独感儚さ。今年の春もとつかくんがすきです。すきなひとがいることもすきなひとにすきと口にできることも、奇跡のようなことだと思っています。
東京公演後に今よりももっと多くのことを感じていられますように。もっとディープ山崎少佐に近づいていますように。もっとすきになっていられたら。
映画の公開ももうすぐ。胸の震えは落ち着く暇もありません。幸せすぎます。